梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その16|桐生/足利に見るものづくり遺産の残し方(1)<桐生新町重要伝統的建造物群保存地区>

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

桐生/足利に見るものづくり遺産の残し方(1)<桐生新町重要伝統的建造物群保存地区>

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桐生の町は、天正19(1591)年に、徳川家康の命を受け、代官大久保長安の手代大野八右衛門により新たに天満宮を起点として作られた桐生新町がベースです。当時から生産が行われ、近代の桐生を代表する産業である絹織物業を中心に発展してきました。そうしたさまざまな建造物が一体となり、絹織物業を中心に発展した町、桐生を示す象徴的な地区でもあります。

町の中心を南北に向かって走るのが本町通り。北の突き当りに天満宮が座し、そこから南に、本町通りに沿って東側に細長く伸びるのが本町1丁目、西が本町2丁目。この天満宮と本町1丁目、2丁目に囲まれた全域が、天正19年に造られた桐生新町で、2012年に文科省が定める「桐生町重要伝統的建築物群保存地域」に指定されています。

この地区にも、絹織物業が多く、江戸後期から昭和初期に建てられた主屋や土蔵、さらにはノコギリ屋根の機織工場などが残されていて、明治・大正・昭和の時代を通じて、日本の基幹産業として外貨獲得に大きく寄与してきました。いまでも200棟を超えるノコギリ屋根の工場・建物が残されています。

ちなみに、地図で工場を表すアイコンはノコギリ屋根で、日本人の記憶にノコギリ屋根は深く刻まれています。桐生の街では、さまざまな形で工場が残されています。それを見てみましょう。写真は、桐生新町重要伝統的建造物群保存地区にある有鄰館、矢野本店の店舗と土蔵、煉瓦のビール蔵で、店舗は現在も営業しています。

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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
地球の歩き方「Look Back Japan –ものづくり強国日本の原点を見に行く」連載中!