梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その21|桐生/足利に見るものづくり遺産の残し方(6)<桐生市近代化遺産絹撚記念館・桐生市文化財保護課の事務室>

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

桐生/足利に見るものづくり遺産の残し方(6)<桐生市近代化遺産絹撚記念館・桐生市文化財保護課の事務室>

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明治35年(1902年)、農商務省は殖産興業施策により全国6カ所に模範工場を造ることになり、桐生に造られたのが旧模範工場・桐生撚糸合資会社でした。工場は、14,315坪の広さにフランス式の撚糸機を備えた、ノコギリ屋根の大工場でした。

この建物は、その事務所として大正6年(1917年)に建設され、現在では桐生市近代化遺産絹撚記念館、兼桐生市文化財保護課の事務室として利用されています。木骨石造で、外壁はセメント漆喰塗り、屋根は鉄板葺であるが建築当初はスレート瓦でした。

撚糸とは、繭から糸を紡いだ後、繊維づくりに必要な太さの糸をつくる(撚る)工程をいいます。この会社は、明治41年(1911年)に模範工場桐生撚糸株式会社と改組し、大正7年(1918年)に日本絹撚株式会社となりました。その後、昭和19年(1944)に軍需工場となりましたが、戦後は再建されることはなく、そのまま廃止されました。

いまでは、明治末から大正初期に建築された事務所棟(木骨大谷石造りの洋風2階建て約113坪)だけが残っていて、屋根は鉄板葺に変わっています。「桐生市近代化遺産絹撚記念館」として一般公開されていて、内部も見学できます。公開は9:00-17:00.

事務所棟は、群馬県最古の石造り建造物とされ、石造り木骨の洋風2階建てで、外壁はセメント漆喰。4面に柱が出るような形で、上部に装飾が施されているのが特徴です。

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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
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