梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その24|桐生/足利に見るものづくり遺産の残し方(9)<アンタレススポーツクラブ(旧足利模範撚糸工場)>

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

桐生/足利に見るものづくり遺産の残し方(9)<アンタレススポーツクラブ(旧足利模範撚糸工場)>

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東武伊勢崎線「足利市」の駅前の信号を西に曲がって200メートルも行くと、右に「アンタレススポーツクラブ」の看板と、石造りの建物が見えますが、これが、旧足利模範撚糸工場が再利用された姿。

1901(明治35)年、政府は外貨を獲得する絹織物の生産を奨励しますが、そのために国の資金で全国6か所に模範工場を開かせました。その時に足利に誕生したのが、足利模範撚糸合資会社です。

政府から、資本金4万円の他に、アメリカ製の撚糸機械一式2万円が貸し下げられ、7,200坪の土地に大谷石造り木造トラス構造の平屋建てノコギリ屋根の208坪の工場が建てられました。ノコギリ屋根の北側には採光窓がついていて、雨樋は控え壁や軒蛇腹をくりぬいて隠され、外部に見せないように工夫されています。

当初の動力源は石炭ボイラーでしたが、大間々発電所ができた明治40年からは電気が導入されています。鳴り物入りでスタートした最先端の工場でしたが大正中頃に両野(りょうや)工業と社名を変え、第二次大戦中に機械など主要な設備を鉄材として供出、戦後は絹織物工場として昭和51年まで操業しました。

廃業後は、市や関係者の努力によって再生が図られ、現在は、建物を活かしたスポーツ施設として活用されています。大谷石の外壁が街の景観にマッチして、落ち着いた雰囲気を出しています。日本産業考古学会によって日本の近代産業遺産第2号にに指定されています。

外から見えませんが、ノコギリ屋根とのジョイント部には、ほぼ等間隔に独立した柱が並び、屋根の小屋組を受けています。

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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
地球の歩き方「Look Back Japan –ものづくり強国日本の原点を見に行く」連載中!