梶文彦の「ニッポンものづくり紀行」 その61|絹繊維産業の街「八王子」

これからの日本のものづくりを見据えるために、過去の出来事やその成り立ちに関する情報を提供するコラム。発想を変えたい時やちょっとした仕事の合間にご覧ください。

絹繊維産業の街「八王子」

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日本版シルクロード「絹の道」の起点になったのは、桑都と呼ばれた八王子だ。生糸取引の拠点であっただけでなく、自身が同時に養蚕と絹織物の盛んな町でもあった。

戦後、経済の高度成長とともに周辺が開発され、都市化が進んだなかで、いまでも無農薬で桑を栽培し、年に2回、春蚕と晩秋蚕を続けているのが長田誠一さん(写真)だ。

養蚕を始めて5代目、これからもこの伝統を守っていきたいという長田さんを、晩秋蚕の繭の出荷前に訪ねた。

横浜に生糸を運ぶ起点となった八王子は、

・江戸と甲州・信州を結ぶ甲州街道(国道20号線)、
・横浜と川越・上州を結ぶ川越街道(国道16号線)、
・青梅を経て甲州に通じる滝山街道(国道411号線)

が交叉する、交通の要衝である。

江戸時代には4日市(横山宿)、8日市(八日市宿)などが早くから開かれ、東西の物資の集散地であり、宿場町として栄えていた。

地勢的には、関東平野の西端に位置し、山地・丘陵が三方を占めて、東へと浅川が流れて半盆地の扇状地を形成している。こうした地形から米作がむずかしく、かつては桑が栽培され、養蚕が盛んに行われていた。

八王子は古くは「桑都(そうと)」と呼ばれたという。「浅川を渡れば富士の影清く、桑の都に晴嵐吹く」と西行が詠んだと伝えられるこの歌の真偽は不明だが、かつて、桑の木が栽培され、養蚕も行われていたことは間違いないようだ。

JR八王子駅を北口に出ると、「マルベリーブリッジ」と命名されたテラスがある。マルベリーとは桑である。このテラスには、織物の町の伝統を伝えるために、かつてあった八王子城を模した塔「絹の舞」が飾られている。

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梶文彦氏執筆による、コラム「ニッポンものづくり紀行」です。梶氏は、長い期間にわたりものづくり企業の国内外でのコンサルティングに携わり、日本製造業を応援しています!
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